2012年3月21日水曜日

研究者の仕事:大学教員は自由人

皆さん、大学教員の勤務形態をご存知でしょうか?
大学の先生って、いつも何しているんだろうと思ったことはありませんか?


<大学教員の勤務形態>
大学教員は、基本的に裁量労働制です。授業と会議以外は本当に自由で、どこで何をしていてもOKです。フレックスタイムもありません。例えば、午前中に私用を済ませてから大学に来たり、午後からどこかに出掛けたり、あるいは早めに帰宅してもよいのです。すべて自分の判断で行動します。
※その一方、土日にオープンキャンパスや入試などの行事で駆り出されることも多いです。

さらに、着任して一番驚いたのは、「休暇は事後報告でよい」でした。私の大学では、月初めに前月分の出勤簿を提出することになっています。その際、出勤日とともに休暇日があれば、あわせて報告します。ちなみに、他大学から来た先生に聞くと、出勤簿そのものがない大学もあるようです。忙しく飛び回っている先生にとっては、出勤状況を管理することも大変なのだそうです。

<自由と責任>
ここまで聞くと、大学教員って自由でいいな、あるいは適当だなと思う方もいるかも知れません。しかし、時間的拘束が少なく自由な反面、自らの活動には責任が伴います。つまり、その自由な時間を使って研究業績が出なければ、昇進できない、場合によっては職を失うことになりかねません。

教授や准教授などは、パーマネント(任期なし)であることが多いのですが、私のような助教の場合、3年から5年程度の任期で契約しています。その間に業績が出なければ、テニュア制度があっても再任できず、他大学での採用も難しくなります。

与えられた時間をどう使うかは、すべて自分の自由であると同時に責任でもあるのです。

<大学教員は自由人>
こういった環境のせいか、私を含め大学教員には『自由人』だなと思う方が多い気がします。特に、任期付きの若手研究者より、テニュアを持つ准教授以上の先生方に多い気がします。

さらに、普段の研究も自由にテーマを設定できるため、本当に研究が『趣味』のようなものです。私自身も研究が趣味、趣味が研究みたいな感じで、半分趣味でやっている部分もありますね。そういうこともあり、あまり人のことは言えませんが、大学には少し変わった人も多い気がします。特に、ずっと大学にいて一般の会社に就職したことのない先生と一般の方では、少し違うなと感じる部分があります。それは、時間に対するコスト意識の違いです。
※あくまでも、ごく一部の方です。

大学の先生は、別にお金を儲ける必要もなく、時間で働いている訳でもないので、自分の時間にどれくらいのコストが掛かっているかは、あまり意識していない場合があります。これが他人のコストも関わってくると少々やっかいで、会議で時間どおりに集まらない、議論がまとまらず会議が長くなる、などの弊害が発生する可能性があります。参加者が自由人ばかりだと、会議の議長は本当に大変だなと思います。

一方、自由人のよい面として、好きなことをやっているので比較的ストレスは少ない方だと思います。そのため、休日でも研究しているという方も多くいます。むしろ、休日の方が日頃の雑事から解放され、研究に集中できる時間を確保できます。それがよいのか分かりませんが、大学の先生には長生きされる方が多いように思います。

私も自由人を目指しつつ、一定の節度を持って活動していきたいですね。

2012年3月6日火曜日

研究者の仕事:論文を書くということ

私の職業は大学教員です。大学教員の主な仕事は、「教育」と「研究」です。教育には、講義を行うだけでなく、ゼミや研究を通じて学生を指導し、社会に貢献できる人材を育成するという目的があります(偉そうなことをいっていますが、私もまだまだ勉強中です)。自分自身の生き方を自らの行動で示していければよいと考えています。


<研究機関としての大学>
一方、大学は研究機関でもあるので、研究成果を上げる必要があります。一般にはあまり知られていないかも知れませんが、大学は教育半分、研究半分であるため、授業と会議以外の時間は、各教員の裁量で研究活動を含む自由な活動に充てることができます。そこで大学教員の受け持つ授業のコマ数を調べてみると、平均で週5コマ(1コマ90分)のようです。私の場合、週8コマ(12時間)で週の3分の1が授業となりますので、平均よりは幾分多いですね。

この授業や会議以外の自由な時間を使って研究を行い、学会発表や論文執筆を行う必要があります。大学教員は発表した論文数とその内容によって評価され、業績に応じて昇進(助教→准教授→教授など)する仕組みです。そこで今回は、論文を書くことについて説明します。

<論文の3要素:新規性・有効性・信頼性>
論文を書くには、『新規性』『有効性』『信頼性』の3要素が必要不可欠です。詳細は、「科学技術論文の書き方」を参照して頂くとして、ここでは簡単に紹介します。

新規性:新しい技術や知見など、世の中で誰も明らかにしていないこと
有効性:提案内容が従来のものと比較して優れていること
信頼性:実験結果や得られた知見の根拠が信頼できるものであること

上記3要素を満たすべく執筆した論文は、学会に投稿すると有識者によって査読され、それらすべてが満たされていると判断されれば、論文誌に掲載されることになります。論文の投稿後、査読を受け掲載されるまでには、半年~1年ほど時間が掛かるため、非常に時間の掛かる大仕事といえます。

<ソーシャルメディアで得られた知見を発信>
ここからは、私の研究に関する話です。現在、私はソーシャルメディアを使って得られた経験、知見などを積極的に発信・公開しているつもりです。その理由は、自分の持っている情報を公開し、より多くの人に知ってもらうことで、その情報が皆さんのお役に立てばよいと考えるためです。一方、これまで私が行ってきた技術の新しさを求める研究であれば、得られた知見を公開することで公知の事実となってしまい、そこに研究としての新しさはなくなってしまいます。

しかしながら、ここで私が得た知見というのは、世の中で知る人はそれほど多くないものの、確実に知る人はいると思われる情報です(書籍、講演資料などで発表もされているものもあります)。

私の研究の本質は、これらの知見を発信していくことで、人々(特に学生)の意識や行動がどのように変化したかを評価することにあります。したがって、こうやってブログを書くことも研究の一環ですし、これらの情報を公開しても研究の新規性がなくなる訳ではないと考えています。

それでは、ご意見、コメントなどありましたら、よろしくお願いいたします。

2012年3月2日金曜日

ソーシャルメディアが自分に合っていると思う理由

自分でいうのもなんですが、他人からはよく正直素直な性格だといわれます。自分でも、基本的には誰にでも裏表なく接していると思います。まあ、嘘は付けないタイプですね。というより、すぐにバレます。どうも顔に出るらしいです。。。
あとは他人を疑うことがあまりないので、騙されやすい部分もあると思います。それで他人に迷惑を掛けたり、苦労することもあったと思います。


前置きはさておき、私がソーシャルメディアを始めたのは、2010年4月1日のことです。
Twitterに登録したのが最初です。まだ使い始めてからは2年弱で、周りで活躍されている方々と比較すると割と遅い方だと思います。ただ、これまで使ってみて、「ソーシャルメディアは自分に合っている」と確信しています!

そう思う理由は、いろいろ考えた結果、様々なところでいわれているソーシャルメディアの「透明性」が自分にとって居心地がよいからだと考えています。透明性の時代では、虚偽や隠蔽工作などの後ろ向きな対応は即座に露見し、瞬く間に世間に広がる可能性があります。その結果、企業やブランドのイメージを損なう恐れがあります。この辺りは、斉藤徹氏の著書『ソーシャルシフト』によく書かれています。

私の場合、嘘を付いてまで、自分が得をするために人を騙したり、貶めたりしようとは考えません。これでも、みんなにとって何がよいかを意識し、行動するよう心掛けているつもりです。
こうして考えてみると、ありのままの自分をソーシャルメディア上で発信することが非常に気持ちがよいです。私にとってソーシャルメディアは、生活の一部に組み込まれつつあり、たまに疲れることもありますが、自分に素直になれる心地のよい場所といえます。