2015年8月17日月曜日

書評『嫌われる勇気』と課題の分離による教育

皆さん、こんにちは。

夏休みで帰省していました。夏休み直前までは前期の成績付けで少し慌ただしかったです。その際の成績評価における問題点を考察すべく、『嫌われる勇気』の考え方と合わせて紹介します。

書評『嫌われる勇気』

1年程前、尊敬する友人の井下田 久幸さんに紹介された本が『嫌われる勇気』でした(参考:【会いたい人行脚第1弾:井下田 久幸さんに会いました】)。この本は、アドラー心理学の考え方を「哲人」と「青年」の対話形式で分かりやすく理解できるように書かれたものです。アドラーの考え方は、『7つの習慣』を著したスティーブン・コヴィーにも影響を与えたと言われています。

嫌われる勇気と聞くと、身構えてしまう方もいるかも知れませんが、これは自分が幸せになるための考え方です。「嫌われること」を恐れず、ありのままの自分を受け入れることで、自分の人生を生きることができるというものです。その中でも特に印象的だった考え方は、以下の2点です。
  1. 他者との課題の分離
  2. 貢献感による自分の価値の実感




1について、自分と他者の課題を分離して物事を考えることができれば、だいぶ気持ちが楽になります。実は、昨年の相談で大塚 英文さんにも同様のご指摘をいただきました(参考:今後の人生に対する考察)。

例えば、「学生が勉強する」という課題があった時、「これは誰の課題なのか?」といった観点で考えます。これは親の課題でしょうか?それとも、勉強を教える教員の課題でしょうか?

「学生が勉強する」という課題は、学生本人の課題です。課題の分離を行う際は、「最終的に、その結果を受け取るのは誰か?」という点で考えればよいのです。上の例で考えれば、勉強した結果を最終的に受け取るのは学生本人です。決して親や教員ではありません。

大学教員をしていて、課題の分離ができていないと、学生指導で苦心することがあります。私達は、他者の考え方や行動を変えることはできません。勉強をしない学生、大学に来ない学生に対して、私達教員が心を痛めても仕方ありません。これは学生の課題です。私達が変えることができるのは、自分自身だけです。課題の分離を行い、他者の課題には踏み込みまないことが鉄則です。

課題の分離ができるようになれば、『7つの習慣』における第一領域(緊急かつ、重要な活動)と第三領域(緊急ではあるが、重要ではない活動)の区別もできるようになります。第三領域は、あくまでも他者にとって重要な活動だからです。我々は、第三領域は極力やらずに済む方法を考えるべきです。
図.時間管理マトリックス

次に2について、課題の分離ができるようになれば、他者の期待を満たすために生きることがなくなります。マズローが欲求5段階説で提唱したように、人には承認欲求(他者から認められたいと願う欲求)があります。しかし、アドラー心理学では、この承認欲求を否定しています。アドラー心理学では、他者の期待や評価に関係なく、自らの主観で他者に貢献できていると思えるかどうか(貢献感が鍵となります。この貢献感を持つことで、自分の価値を実感できると説いています。自分の価値を実感するために、他者からの評価は関係ありません。

課題の分離に基づく学生指導

上記を踏まえ、大学教育における学生指導について考えます。ここで、学生の課題を「勉強して、単位を取得すること」「卒論を書いて、卒業すること」とすれば、教員側の課題は「学生に学びの機会を提供すること」「学生が学習目標を達成したかを正当に評価すること」と考えることができます。

教員は、学生に対して、カリキュラムに従った講義、適正な量や難易度の課題、グループワークやディスカッションといった学びの機会を提供します。その上で、最も重要なのが正当な評価です。正当な評価を行うためには、次の2点の誤りを極力排除することが不可欠です。
  • 合格基準に達した学生を不合格としてしまうこと
  • 合格基準に達していない学生を合格としてしまうこと
合格基準に達した学生を不合格とすることはあってはなりませんが、採点ミスや成績登録漏れなどがなければ滅多にありません。もしあったとしても、成績の修正期間や質問期間があるので基本的にはそれで対応できます。

我々教員が最も注意を払わねばならないのは、合格基準に達していない学生を合格としてしまうことです。上と同様に、誤りであれば修正期間に対応すればよいだけです。問題となるのは、意図的に単位を与えてしまう場合です。就職が決まっているのに卒業要件が満たせない、学生の親やゼミの教員からの懇願、再履修に伴う来年度の授業運営(教室のキャパシティや教員の過負荷)など、様々な原因が考えられますが、すべては課題の分離ができていないために起きてしまっていると言えます。

私自身の経験で言えば、プログラミングや情報リテラシーといった科目を複数の教員で担当していますが、評価の際に教員間で意見が割れることがしばしばあります。評価案については、教員間で合意を得ながら調整しますが、上記の課題の分離ができていないために、学生側の課題に踏み込んだ評価案となってしまうことがあります。学生の試験成績や課題提出率が低い、出席状況が悪いなどを理由に教員側で評価案を変更してしまっては本末転倒です。正当な評価を行うことが、教員の課題だからです。

以上を踏まえ、私自身は、正当な評価を行うこと教育上の至上命題として掲げたいと思っています。まだまだ私は、教育経験が浅く、大学運営上の課題にも知るべきことが多くあります。しかしながら、経験を重ねる中で、例え様々なしがらみがあったとしても、課題の分離による教育は常に意識して行動したいと考えています。

今回の記事については、大学の実情に少し触れたこともあり、賛否両論の意見があるかも知れません。もしご意見がありましたら、是非お寄せいただければと思っています。

それでは、今後ともよろしくお願いいたします。